肉の手帖

褐毛和種 (あか牛) の特徴や歴史まとめました。

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熊本あか牛

褐毛和種とは和牛の一種で、体毛が黄褐色あるいは赤褐色をした角のある牛の総称です(あか牛とも呼ばれます)。飼養されている地域は、熊本県や高知県、北海道や東北地方などがメイン。そのお肉は程よいサシ(霜降り)と赤身肉の深い味わいの両方が楽しめると、最近じわじわ人気が出てきています。

ただ残念ながら、まだ世間的にはあまり知られていません。

全日本あか毛和牛協会の調査によれば、認知度はわずか13パーセント(首都圏の方に限ると10パーセント以下)。黒毛和種の91パーセント、飼養頭数の上では褐毛和種より少ない日本短角種の16パーセントに次いで3位だったそうです(※1)。この調査は2009年に実施されたもので、いまはもう少し上がっているかもしれませんが、依然として低いと予想されます。

褐毛和種は黒毛和種ほど研究が進んでおらず、畜産関係者のあいだでも謎に包まれた部分が多いです。そのため研究書などもほとんどなく、一般の方が褐毛和種について知ろうにも、その機会もツールもないのが現状です。

今回はそんな褐毛和種について、少しでも知ってもらえればと思います。

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褐毛和種の特徴(外見・産地・銘柄・価格)

冒頭にも書きましたが、褐毛和種とは体毛が黄褐色や赤褐色をした角を持つ牛です。体がとても強く性格がおとなしいため、育てやすいのが特徴です。
(ちなみに、角がない牛は体毛の色にかかわらず無角和種に分類されます)

褐毛和種は大きく熊本系と高知系の2種類にわかれ、それぞれに特徴があります。

熊本あか牛

熊本系の褐毛和種は全体的に黄褐色が強い体毛をしています。一方、高知系も体毛は褐色ですが、目の周りや鼻先、口元や蹄などは黒いのが特徴です。この黒色を持つ牛は肉質も良いため農家から好まれ、昔から「毛分け」(けわけ)と呼んで珍重されました(※2)

この毛分けの特徴は、褐毛和種のルーツである朝鮮牛の形質を引き継いだものです。そのためどちらの褐毛和種も外見はもともと似ていました。

ただ、両県の毛色に対する嗜好性は異なり、熊本県では毛分けは好まれませんでした。そのため熊本系は、改良を進めるうちにほぼ全身が褐色に。一方の高知県は先述のとおり毛分けを歓迎してきた歴史があるため(※3)、いまでも鼻先などが黒いです。

このように見た目で多少の違いはありますが、やわらかい褐色の外見はとても愛嬌があり、熊本県でも高知県でも観光客の目を楽しませています。熊本県では阿蘇の草原などで牛たちの放牧を見ることができ、のんびり歩き回ったり草を食べたりする牧歌的な光景に出会えます。

熊本あか牛の放牧の様子1

熊本あか牛の放牧の様子2

生産地

生産地としては熊本県がトップで、次いで北海道、高知県とつづきます。2018年の畜産統計調査によれば、飼養頭数トップ5は次のようになっています(※4)

都道府県 飼養頭数(頭)
1 熊本県 15,200
2 北海道 2,840
3 高知県 2,080
4 岩手県 480
5 宮城県 470

全国で飼養されている21,800頭のうち、熊本県が70パーセントを占めており、上位3道県だけで90パーセント以上になります。

ただ、褐毛和種の飼養頭数は年々減少しており(2008年2月報告の畜産統計では30,000頭を超えていました)、高知県の2016年度の飼養頭数は1,964頭。近年は微増傾向ですが、8,000頭を超えていた1993年と比べると、現在は当時の4分の1ほどです(※5)

熊本県でも1990年代前半は20,000頭近くいた褐毛和種の肥育牛が、2016年には4,880頭まで落ちこみ、かつては70,000頭だった繁殖牛も今は10,303頭。肥育農家・繁殖農家の戸数も昭和50年代から一気に減りはじめ、前者は現在100戸を下回っています(反対に黒毛和種の飼養頭数は右肩上がりです)

以下は、熊本県の褐毛和種・黒毛和種それぞれの繁殖牛と肥育牛の頭数推移です。

黒毛和種・褐毛和種の飼養頭数の推移

一方で、赤身肉は近年、ニーズが高まっており、伴って褐毛和種の人気も伸びています。少し前の話ですが、公益財団法人日本食肉消費総合センターが2016年に報告したデータによれば、牛肉を食べる際、必ず赤身肉を選ぶと回答した人は14パーセント。2014年の8.9パーセントを大きく上回りました。

赤身肉が好きな人の割合の推移

農林水産省は2015年に策定した「酪農及び肉用牛生産の近代化を図るための基本方針」のなかで、牛肉の課題と対策について次のようにまとめています。

(背景・課題)
健康志向等の高まりを背景に、霜降り牛肉だけでなく、適度な脂肪交雑の牛肉に対する消費者の関心も高まっていることや、手頃な価格の牛肉へのニーズも高いことを踏まえ、肉用牛・牛肉の生産を推進することが重要である。

(対応・取組)
霜降り牛肉に加えて、適度な脂肪交雑の牛肉等の生産を推進するとともに、褐毛和種、日本短角種等の特色ある品種や地域の飼料資源を活用するなど、多様な肉用牛・牛肉の生産を推進する。
また、「おいしさ」に着目した国産牛肉の評価指標の研究を推進する。

ニーズが高まる一方、褐毛和種の繁殖・肥育を担う畜産農家は減少しており、安定供給のために今後の対策が急がれている状況です。

銘柄

褐毛和種の銘柄牛は、記事執筆段階で以下の3銘柄あります(※6)

  • いけだ牛®(北海道中川郡池田町)
  • はこだて和牛(北海道上磯郡木古内町)
  • 紅の牛(栃木県)

なお、こちらはブランドの規格が「褐毛和種のみ」となっている銘柄牛です。たとえば「くまもとあか牛」のように、黒毛和種の血が入っている褐毛和種などは含めていません(こちらも含めますと、もう少し数が増えます)

価格

肥育農家が繁殖農家から購入する子牛の平均価格は、次のように推移しています(比較として黒毛和種の価格も載せてあります)

褐毛和種・黒毛和種の子牛売買価格の推移

近年は下落傾向ですが、昔と比べますと依然として高い水準にはあり、消費者のニーズの高まりをうかがわせます。

褐毛和種の歴史

ここからは褐毛和種の歴史について見ていきましょう(熊本県と高知県の話が中心になります)

ルーツは朝鮮牛

先にも書きましたが、褐毛和種は大陸から伝来してきた朝鮮牛がルーツだといわれています。

朝鮮牛は性格が温厚で、暑さや寒さを物ともしないほどに体が強く、役用牛(物資の運搬や農作業などの人の仕事を手伝う牛)として高く評価されました。そのため明治から大正にかけて多く移入(輸入)され、やがては四国や九州だけでなく、関西や関東でも活躍するようになります。

朝鮮牛の移入数推移

ほかにも繁殖力に優れ(1年1産)、何千年ものあいだほかの牛の血を入れてこなかったため、その特質を子に伝える遺伝力もすばらしいものがありました(※7)

 

朝鮮牛の特徴を簡単にまとめると、次のようになります。

  • 穏やかな性格
  • 体が強健
  • 質の良くない飼料でもよく発育する
  • 繁殖力に優れる
  • 遺伝力に優れる
  • 安価で購入できる

これらの特徴の多くは、いまの褐毛和種にも受け継がれています。

たとえば阿蘇の草原は急な傾斜が多く、黒毛和種はこれを登るのにけっこう苦労するのですが、褐毛和種はわりとすいすい登ります(もちろん個体差はあります)

阿蘇の台地(阿蘇の大地。写真のような勾配がたくさん見られます)

また粗飼料(草など)の利用性が高くて発育が良いのも、褐毛和種の特徴です。高価な穀物飼料(とうもろこしなど)ではなく、安価な粗飼料ですくすく育つため経済性が良く、手間もかかりませんでした(放牧で育てられるため)。そのため昔は役牛としてたいへん珍重されました。

発育の良さは肉用牛としても利点であり(早く収益化できるため)、黒毛和種は出荷までおおむね30ヵ月ほどかかりますが、褐毛和種は25ヵ月前後で同程度まで大きくなります(黒毛和種もホルスタインとの交雑ですと、25ヵ月くらいで出荷相当になります)

高知系のルーツは九州の褐毛和種?

先に述べたとおり、全国の褐毛和種は熊本系と高知系に大別され、生産地ごとにどちらの系統か示した図が以下になります。

あか牛のルーツ

熊本系が全国に点在しているのに対し、高知系は高知県にのみ見られます。

高知県によれば、同県の褐毛和種は九州地方へ移入された朝鮮牛が渡ってきたものだとあります。在来牛より役牛としての素養に秀でていたため多くの農家が飼いはじめ、結果その数を増やしていったようです(※8)

ただ、高知の褐毛和種は明治期に大陸から同地へ移入された朝鮮牛がベースであり、九州の褐毛和種とのあいだに交流はなかったとする説もあります(※9)

ある研究によれば、牛たちの遺伝子頻度(どんな遺伝子が多く現れるか)を調べると、熊本系より高知系のほうが黄牛(朝鮮牛)に近い可能性も指摘されています(※10)。この点をふまえると、高知系は九州に土着の褐毛和種が渡ってきたのではなく、高知県へ直輸入された朝鮮牛が土着化したとする説にも一定の信憑性がありそうです。このあたりの解明は今後の研究に期待しましょう。

なお、いつから朝鮮牛の移入がはじまったのかは定かではなく、たとえば山口県では1880年代からすでに行われていたともいわれています(※11)

食肉文化の流入に伴う改良のはじまり

明治維新を経てお肉を食べる文化が根づくと、役牛としての牛に肉牛としての役割もつき、以降、牛たちは役肉用牛(えきにくようぎゅう)となります。

ですが、日本の牛はもともと役牛だったので、食用に向きませんでした(小柄でお肉の取れる量が少ないなど)。そのため明治中期から大正にかけて、肉質改善をめざしたさまざまな取り組みが行われていきます。

この改良が本格化したのは、明治30年代。政府(農商務省)は、在来牛に外国種を交配して、肉牛として不足している形質を改善していく方針を打ち立てます。外国種は増体(体の大きさや発育の良さ)に優れていたため、その血を入れることで在来牛の良さと外国種の良さを受け継いだ牛が誕生すると考えたのです。

政府は、いまでいう和牛との交配用にシンメンタール種、のちにブラウンスイス種を全国に供与(あるいは貸与)。各地で地元の牛たちとの交配が進められます。熊本県と高知県の褐毛和種は、シンメンタール種との交配が進められました(※12)

 

結果、在来牛の増体性は見事に改善。これを受け、外国種との交配がどんどん加速していきます。

ところが、明治後半から大正初期にかけて事態は急変。外国種による交配をめぐって混乱が相次ぎます。

たとえば但馬牛®では、1909年の共進会で外国種の血を入れていない純粋な但馬牛®が首席を獲得。そのときの審査員が外国種による改良を推奨する政府関係者だったことも重なり、農家が暴動を起こす騒ぎにまでなりました。

標準体型と登録事業の登場

こうした混乱のなか、徐々に外国種による改良の課題が浮き彫りになっていきます。体は確かに大きくなり、肉量も増えましたが、たくさんのエサが必要となり(経済性が落ち)、役牛としての働きも鈍り、肉質も低下。農家のあいだでは「外国種との交雑牛は、役牛としても肉牛としても在来牛に劣る」という声が大勢を占めていきます。

外国種による改良の根本的な見直しが決定されたのは、1912年(大正元年)。このとき開催された第6回共進会で外国種との交雑牛は成績が伸びず、政府は改良方針の根本的な見直しを決定。1917年に「各生産地の事情にあわせた改良を進める」という方針を新しく掲げます。

以降、各生産地は自分たちなりの牛の理想的な体型(標準体型)を定義し、これを満たした雄牛を種雄牛として管理していく登録事業を開始。親牛の特徴は子牛へ遺伝するという発想のもと、標準体型を満たす牛を安定して生産できる体制を整えていきます。

熊本県でも肥後種(赤毛肥後牛)の登録事業が1923年より開始。農家の理解が得られない、経済不況や戦禍による影響などから定着まで時間がかかりましたが、赤毛肥後種の頭数は着実に増えていきました(※13)

褐毛和種という品種の誕生

標準体型と登録事業によって、各地の牛たちは均質化していきました(これを品種の固定化と呼びます)

ところが1930年代から1940年代にかけて大規模な戦争が立て続けに勃発。兵食や軍需品として牛の需要が高まったことで頭数は一気に減り、この影響で品種の淘汰が加速します。

このとき具体的にどのくらい減ってしまったのか確かなデータはありませんが、全国肉用牛振興基金協会によれば、1946年の肉牛頭数は181万頭。またある研究によれば、1940年の牛のと畜頭数は40万頭を超えており(※14)、この2点を踏まえると相当な規模で減少した様子が想像されます。

 

そして1944年、政府は国内に残った肉牛を以下の3品種に分類しました(言い換えれば、肉牛はこの3品種しかいなくなりました)

  • 黒毛和種
  • 褐毛和種
  • 無角和種

ここではじめて「褐毛和種」という品種名が登場します。

ちなみに現在は「食肉の表示に関する公正競争規約」第4条・第4号および同施行規則・第10条において、和牛と表示して良いのは次の牛のみであると定められています(※15)

  1. 黒毛和種
  2. 褐毛和種
  3. 日本短角種
  4. 無角和種
  5. 1〜4の品種間の交配による交雑種
  6. 5と1〜5の交配による交雑種

なお、褐毛和種が熊本系と高知系に分かれた時期は定かではありません。家畜改良センターの肉用牛産肉能力検定成績を拝見すると、昭和55年度以前は両者を区別せず褐毛和種として検定していたことが確認できます(※16)。あるいはその頃から両者の違いが特に強く意識されはじめたのかもしれません。

役肉用牛から肉用牛へ

戦後、牛は引き続き役肉用牛として使役されますが、やがて農耕機械などが進化すると、役牛としての役割から解放されます。

以降は、肉質や歩留まりに重点を置いた改良が進められていきます。特に在来牛の課題であった肉量を改善するため、産肉能力検定による種雄牛の選抜がはじまったのが大きな変化でした。

熊本県ではBLUP法という統計手法による産肉能力の遺伝性評価などに取り組み、そのデータを生かして計画的な交配を進め、優秀な種雄牛である光重ET(みつしげET)などが誕生。そのこどもたちからも親牛を凌ぐ優秀な種雄牛が多数作出されました。

ただ地域の褐毛和種全体で見ますと、肝心の肉質や歩留まりはそこまで改善されておらず、当初の改良はなかなか思うように進まなかったようです(※17)

そして現在に至るまで、褐毛和種の改良努力はつづけられています。

褐毛和種の歩留・肉質の特徴

ここからは、褐毛和種の肉質と歩留について見ていきましょう。

黒毛和種との比較

まず黒毛和種との比較を通して、褐毛和種の特徴を見ていきましょう。

農林水産省の家畜改良増殖目標(平成27年3月)によれば、褐毛和種と黒毛和種の現状は次のようになっています。

褐毛和種と黒毛和種の改良状況比較

体高や胸囲などが具体的に牛のどのあたりを測定しているのかは、畜産ZOO館の「発育と体型・体格」がわかりやすいので、ぜひそちらもあわせてご覧ください。

発育と体型・体格|畜産ZOO館

去勢肥育もと牛(やがてお肉として出荷される去勢された雄牛)のほうを見ますと、褐毛和種は黒毛和種と比べて発育に優れる一方、脂肪交雑では及ばないことがわかります。繁殖雌牛のほうを見ますと、全体的に黒毛和種よりも体が大きいです。特に体重は100キロも違います。

 

褐毛和種の特徴をざっとまとめますと、このような感じです。

  • 体が大きい
  • 増体性に優れる(発育が良い)
  • 脂肪交雑は黒毛和種ほどない
  • お肉本来の味が楽しめる(赤身が多いため)
  • 粗飼料の利用性が良い(放牧に向いている)
  • 赤身の部分のキメの細かさは黒毛和種ほどではない
  • 可食部が黒毛和種より少ない

褐毛和種は発育が良い一方、その影響で筋肉繊維が黒毛和種よりも粗くなってしまいます。そのため良くいえば食べごたえのある、悪くいえばキメの粗いお肉なのが特徴です。

また赤身の部分が多いのも、褐毛和種ならでは。脂のジューシーさを楽しめる黒毛和種に対して、褐毛和種はお肉が持つ本来のおいしさを堪能できます。脂が少ないので黒毛和種よりもヘルシーです(焼き肉などに向いています)

また骨が黒毛和種より大きいため、可食部は黒毛和種のほうが多い傾向にあります(褐毛和種の骨は黒毛和種より大きく、ホルスタインより小さい程度です)。M/B比という筋肉(muscle)と骨(bone)の比率を取ると、黒毛和種よりも低く、日本短角種よりも高くなることが報告されています(※18)

熊本系と高知系の比較

熊本系と高知系の違いについては詳しいことはわかっていません。先に挙げた毛色の違いなど以外ですと、たとえば肉質や歩留まりの遺伝的能力において次のような違いがあることが、ある研究によって指摘されています(※19)

  • (日齢)枝肉重量など発育性は熊本系のほうが優れる
  • ロース芯面積、バラや皮下脂肪の厚さなど、歩留まり面では高知系のほうが優れる
  • B.M.S.No(脂肪交雑)は、高知系のほうが高い
  • お肉のきめは熊本系が、しまりは高知系が優れる
  • 歩留まり面の遺伝性は高知系が、肉質面での遺伝性は熊本系が高い

(なお、こちらは平均の比較です)

 

また熊本県内だけで見ても地域によって特徴にばらつきがあります(※20)

ただ冒頭でもお伝えしたとおり、褐毛和種についてはまだ十分な研究がなされておらず、これまでわかっていることは数少ない研究と畜産関係者の経験則によるところが大きいです。今後さらに研究が進むことで、よりはっきりしたことがわかってくるでしょう。

参照・引用

商標

  • 「いけだ牛®」は、十勝池田町農業協同組合の登録商標です。
  • 「蔵王和牛®」は、高橋畜産食肉株式会社の登録商標です。
  • 「博多和牛®」は、有限会社三宅牧場の登録商標です。
  • 「但馬牛®」は、たじま農業協同組合と兵庫県食肉事業協同組合連合会の登録商標です。
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